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第一に、いったいぜんたいFは何を考えていたのか、そしてなぜ誰もそのことを気にとめなかったのか。
第二に、日本銀行というところは、ブラインド・トラストなどは、聞いたことがなかったとでもいうのか」。
周知のように、イングランド銀行もこれまでの日銀同様、内規に資産公開の義務はないし、金融資産の保有制限はない。
欧州中央銀行の場合も、資産公開は課されず、保有制限についても所得に見合った範囲内で注意が喚起されるに留まる。
ということは、内規で明示されているか否かにかかわらず、先進諸国で中央銀行の総裁に相当する地位にある者が、就任のさいには金融資産を「ブラインド・トラスト」にするというのは、あまりに当然のこととされているのである。
別にGを称賛するためにこんなことをいっているのではない。
Gは当然のことを行ったという意味で正しかっただけなのである。
そもそも、すでに触れたように、T社長だったNが日銀政策委員会の審議委員に就任したさい、日銀当局は株式を信託銀行に預けるように進言している。
この「世界の常識」は、実は日銀もちゃんと知っていたのだ。
この点からも、F総裁の感覚はかなり弛緩していると言うべきで、また、「脇が甘い」といわれてもしかたがないだろう。
他にもあった「呆れた行状」もうひとつ、F総裁の脇の甘さを挙げておこう。
週刊誌でも採り上げられた、金融雑誌への登場の件に関することだ。
金融コンサルタントであるKが関係する「F」二○○四年十二月創刊号に、F総裁はT経済財政政策担当大臣とともに表紙を飾った。
この表紙を見たとき、私は「あらあら、こんなこと、やっちゃって」と呆れたが、同じように、F総裁の節度のなさに驚いた読者は多かっただろう。
いくら日銀の後輩だからといっても、まだ海のものとも山のものとも分からない民間出版社が始めた金融雑誌の表紙を飾るのは、あまりにも公人としての自覚に欠けるというべきだった。
しかし、私が「あらあら」と思ったのは、それだけではない。
本文の冒頭ではKを含めて、三人が並んでポーズをとっていた。
多少、金融問題に関心をもつ人なら思い出したに違いない。
この構図は、米週刊誌「タイム」九九年二月十五日号の表紙を意識したものであることが一目瞭然だった。
中央にG議長が立ち、両脇にR財務長官とS財務副長官が寄り添う図柄で、「金融危機を救った三銃士」というタイトル。
「Fンシャル・ジャパン」のほうは、中央がK村というのも驚きだが、隠れもなき公人であるT中大臣とF総裁が寄り添って、ここまでサービスするのは問題視されて当然だっただろう。
もちろん、G議長は何度も雑誌の表紙を飾った。
しかし、それはすべて評価の決まった雑誌による「報道」の範囲内での登場であり、福井総裁のように民間の金融コンサルタントが関係した新雑誌に座談会で登場しただけでなく、手のかかる写真撮影で、ポーズをとって表紙を飾ったわけでは決してない。
常識で考えてみればいい。
たとえば、アメリカの利殖金融雑誌に、雑誌の関係者と仲良さそうに並んで、現役のFRB議長が登場すれば、「みなさん、この雑誌は私が後押ししています」という印象を与えてしまう。
Gでいえば、現役の議長時代に、先のKと並んで例の豪華ホテルのパンフレットに登場し、「みなはん、ここの深夜パーティは、ごっつう面白おまっせ」と言っているようなものだ。
こんな馬鹿なことが、なんの批判も浴びることなく、まかりとおってきたのが、日本金融史に特筆されるであろう、F総裁時代だったのである。
この時代には、F総裁だけに限らない、国内において規範の弛緩がピークを迎えていたのだ。
法王・中央銀行総裁の重すぎる立場なかにどっぷりと漬かつている金融業者や、精妙な経済論理を構築する金融経済学者は、しばしば金融システムというものがいかに「あやしげ」なものであるかを忘れてしまう。
たとえば、なぜ銀行は保有する以上のお金を企業や個人に貸し出すことができるのか。
また、なぜ株式を上場している中央銀行が他の銀行の口座を保有し、貸し出し額をコントロールできるのだろうか。
さらに、なぜ中央銀行の総裁は、誰にも辞任を強制されないのだろうか。
それだけではない。
ごく最近まで、銀行は証券業務を行うことができず、逆に証券会社は銀行業務が禁じられていたが、いまやほとんどの規制が廃止され解禁された。
L事件やMファンド事件で知られるようになった投資事業組合も、かつては禁じられていたのに、いまはビジネスの前面に躍り出ている。
いったいそれは何故なのか。
投資事業組合をつくれば誰が出資しているかを公表せずに、さまざまなリスクの高い投資活動ができる。
ひと儲けしたい者にとっては、これほど便利なものもないだろう。
そんな危険な金融経済評論家は物知り顔で「金融自由化が行われたから」とか「金融先進国であるアメリカを見習って緩和したから」というに違いないが、そのアメリカも七○年ころまでは、世界で最も金融規制が厳しい国であり、しかも経済的に圧倒的な繁栄を誇っていたことを、どのように説明するのだろうか。
たとえ、こうした説明をそのまま一受け入れたとしても、金融システムの頂点に立つ中央銀行総裁という不思議な地位については説明が難しい。
国民が選んだわけでもなく、また、国会で人選を決定したわけでもない。
内閣が任命すればほぼ決まってしまい、しかも、内閣には任期中の総裁罷免権はないのである。
そんな人が、国民生活を大きく左右してしまう金利を決め、通貨の発行量をコントロールしているのだ。
ただ一般論としていえるのは、金融自由化を進めれば進めるほど、中央銀行の独立性は高くなり、その総裁の地位は「法王」とか「天皇」などと呼ばれるほどに、巨大な権力を持つだけでなく、シンボリックな権威が伴うものとなるという現実である。
だからこそ、アメリカでもヨ−ロッパでも、中央銀行総裁が保持するようになった巨大な権力と権威については、さまざまな陰謀説が生まれ、その超越的な力に制限を加えようとする仕組みが、なぜ許可されるようになったのかも、一般の人間にとっては不思議でならないはずだ。
前出の日銀政策委員会審議委員を務めたNは、近著の「日銀はだれのものか」(中央公論新社)のなかで「政府に、総裁に対する罷免権を与えるべき」だと述べているが、実は、こうした議論は決して珍しいものではない。
堕落した総裁は国の金融まで腐敗させる中央銀行総裁の権威と権力は、日常の感覚では理解することがかなり困難なので、このポストをめぐっては陰謀説が次から次へと生れる。
いちばん多いのがユダヤ陰謀説だが、フリーメーソン陰謀説もあり、さらには十八世紀ドイツのババリァで生れた結社イルミナティが、その後生き延びて世界の中央銀行を乗っ取ったなどという説すらある。
たとえば、最近の例でいえばG・E・Gの「マネーを生みだす怪物」(草思社)があるが、この分厚い本によれば中央銀行というのは、民間の銀行がいくら融資を拡大しても銀行業界全体が危機に陥らないように、自分たちで出資して作った「カルテル」であるだけでなく、秘密結社イルミナティの陰謀の成果なのである。
また、Mの「民間が所有する中央銀行」(秀麗社)などは、「連邦準備制度こそ、世界共産主義の唯一の財政的支援者である」と述べている。
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